八千代リハビリテーション学院

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ヤチリハのブログ

ナンバについて ~ 現代人が忘れかけた、もう一つの歩き方 ~

【ナンバってナンダ?】
ナンバとは同じ側の手と足を同時に振り動かして歩くことを言います。子供の頃を思い出してください。例えば卒業式で卒業証書を貰う為に壇上に上った時に、緊張しすぎて同じ側の手足を同時に振り出して歩くクラスメイトを見た事ありませんか。そういう普段の歩き方とは異なる歩き方をナンバといいます。
ナンバはカタカナで書き表す言葉ですが、外来語ではありません。実は学問的な言葉ではなく、専門書には似合わない少しくだけた言葉です。でも、この言葉ではないと表現できないヒトの動きがあるのです。では、ナンバの意味は何でしょうか。
「ナンバ」とは、日本古来の歌舞伎のある演技方法(動作)を指した言葉です。舞台上を移動する際、普段どおりに歩いたのでは演技になりません。走る(歩く)躍動感を誇張したり、観客に迫真に満ちた顔の表情を見せるために、同じ側の手と足を十分に振り動かして歩いたり構えたりします。歌舞伎ではこの歩き方を指してナンバといいます。(図1)
ちなみに「ナンバ」の意味の由来については諸説があります。例えば重たい荷物を背負って急峻な階段を登るような「難場(なんば)」では、自然と膝の上に同じ側の手をあて膝と肘をのばして歩く姿勢になることから、「難場」の字から由来する説があります。また西洋から伝来した滑車が「南蛮(なんばん)」とよばれ、これを使って綱を引く姿から生まれたという説、南蛮人すなわち外国人の歩き方を嘲笑したことに始まる説などがありますが、定説はないので俗っぽい意味も含めてカタカナなのです。

図1

図1 歌舞伎の「六方」にともとづく演出

【ナンバの流行とナンバを巡る混乱】
ナンバという言葉はスポーツや介護の分野で少し流行した時期がありました。
ナンバの流行の発端は、古武術研究家の甲野善紀の著作などにより「ナンバ」の名称が知られたことから始まります。それ以後、桐朋学園大学教授の矢野龍彦などによるナンバ走りを取り入れたスポーツ理論の提唱、2003年6月の日本陸上競技選手権大会の男子200mで20秒03のアジア新記録を出した末續慎吾が「ナンバ走りの動きを意識して走った」と語ったことで、この走法もしくは「ナンバ」が注目されることとなりました。しかし事実としては、桐朋高校のバスケットボール部の選手や末續慎吾も試合(競技)の場で「ナンバ」は行っているわけではありません。実際にはナンバをトレーニングに取り入れることにより獲得された運動学習をもとにして生み出された無駄のない効率的な走り方のことを指して「ナンバ走り」と呼ぶことが多く、ナンバの定義が飛躍して用いられる場合があります。
また古武術でのナンバの概念の紹介とともに、江戸時代までの日本人の歩行はナンバ歩きであったとする議論に賛否があがりました。ナンバ歩きの定義に、腕を振るのか振らないのかも含め曖昧さが相まって混乱しました。

【昔の日本人はナンバ歩きしていた!?】
日本人は古来、ナンバ歩き(走り)をしていたとする説がある一方、否定する説もあります。私の見解としては、ナンバ歩き肯定または否定する絶対的な見解を求めるのではなく、ナンバ的要素を含めその時々の状況や儀礼(作法)、生活様式に即した多様な歩き方を持ち合わせていたとする、いわば部分的に肯定する相対的な見解です。その理由は4つあり、以下に説明します。
1.道路環境
皆さんは普段どのような場所を歩いていますか?ほぼ間違いなく誰かが歩きやすいよう整地した所を歩いているはずです。そして皆さんが普段から行っている歩き方は整地された所を歩くために最適な歩き方です。すなわち、平坦な路面、規則正しい階段、極端な重量物を背負わない現代社会において、普段の歩き方は非常に理にかなった歩行と言えます。
しかし江戸時代までの社会ではどうでしょうか。現在とは比べ物にはならないくらい悪路であったことは容易に想像できます。不規則な階段、木の切り株や地表に現れた樹木の根っこ、大きな石、砂地や泥炭地の路面、雨が降ればぬかるみ、冬になれば路面は凍結、積雪等、挙げればきりがありません。このような実に多様な路面状況で、飛脚(ひきゃく)や行商(ぎょうしょう)はどのような歩き方をしたのでしょうか。状況に応じて歩きやすい歩き方に適応するような多様な戦略を持っていたと考えるほうが自然です。
2.演出
江戸時代までの日本人の歩き方がナンバである根拠として浮世絵や歌舞伎を挙げているひとがいます。しかし、これらは当時の日常を忠実に描写した側面もあるが、演出の側面も考えられます。浮世絵にしても歌舞伎にしても、一平面上の作品であり普段の歩き方のように身体に捻れがあるようでは、死角が生じ「絵」になりません。
ちなみに桃山時代に南蛮人の姿を模写した絵として狩野内膳筆の「南蛮屏風(重要文化財)」があります(図3)。ここに描かれている南蛮人、日本人ともにナンバ歩き(走り)をしています。当時の絵画を根拠にあげても不毛な議論ではあるが、少なくとも言えるのは、当時の絵が必ずしも忠実な描写ではないということです。そういえば、非常口を示す扉に向かって逃げる人の描写も、見方次第ではナンバですよね?(図4)

図2

図2 代表的な浮世絵の1枚「大谷鬼次(2代目)の江戸兵衛」, 東洲斎写楽, 1794
足元は描写されていないが胴回りの向きから推測すると左足は前に出している構図となる。

図3

図3 桃山時代に描かれた南蛮人の走る姿 武士も南蛮人もナンバ歩きをしている。

図4

図4 非常口のマーク

3. 衣服・履物(はきもの)
皆さんは浴衣(ゆかた)を着る機会がありますか?着たことがある人に質問ですが、外出先で着崩れて困った人はいませんか?着崩れるには理由があるのです。
江戸時代までの衣服は男女ともに着物です。現代の私たちの普段の歩き方では胴回りをねじって歩くために着物がすぐさま肌蹴(はだけ)てしまいます。お侍さんは加えて脇腹に刺した刀が落ちてしまいます。よって江戸時代までの人は、歩くとき胴回りをねじらぬ様に工夫して歩いていたと考えられます。具体的には小さな歩幅で小走りに、腕は振らず歩きます。走るときには手を胸元や脚の付け根において、肌蹴る着物を直しながら走るか、刀を押さえながら走る格好となります。そのような歩き方や走り方は胴回りをねじらない様にしている点において、ナンバに共通します。
履物も着物同様に明治時代を境に大きく変わりました。江戸時代までの履物として下駄(げた)や草履(ぞうり)が代表されますが、これらの履物には現代の私たちが履いているような踵(ヒール)に相当するものがありません。(図5)草履の種類として足半(あしなか)わらじといって前足部だけで履く草履が普通に用いていました。このことから言えることは、現代人は踵から床に着いて歩く(踵接地)が江戸時代までの人は摺り足(立脚初期の踵接地(かかとせっち)がなく前足接地となっている)であることが伺えます。江戸時代までの日本人が摺り足(すりあし)で歩く理由として、日本においては着物による制約のため小さい歩幅で歩くことから踵接地する必要性が低いこと、踵を少し浮かして歩くことにより、脚全体がバネの役割を果たし、悪路や傾斜地を歩くには適していることが考えられます。

図5

図5 日本の履物  台の方が足より長いと、足と台の間に裾が入り、着物の裾を踏みつけてしまう。これにより着物が肌蹴たり転倒したりする原因になるので、台の方を足より短くするようである。

4. 儀礼(作法)
日本古来特有の儀礼(作法)があり、歩行の仕方についても作法があります。礼儀作法の流派として知名度の高いものに小笠原流があり、弓術・馬術・礼法・軍陣故実などの武家社会の規範となっています。
小笠原流の歩行は、屋内においては踵も爪先も着けたままの「摺り足」を基本としています。屋外においても完全な摺り足ではありませんが、草履の裏を見せぬよう後方への蹴りだしを極力抑え、爪先から接地する。このほか、どの歩行周期においても膝を完全には伸展せず、体幹は回旋しない、腕を振らない最低限の部位しか動かさない静的な歩容とし、急ぐときほど歩幅を小さくし、歩調で速度を稼ぐことを作法としています。

【まとめ】
さて、今回はナンバを中心に話をしました。現代の皆さんが普段用いている歩き方とは異なる歩き方があることを知って頂きながら、歩くことの奥深さに興味を持ってもらえれば嬉しく思います。
【参考文献】
〈書籍〉
『舞踊の芸』 武智鉄二著 東京書籍
『伝統と断絶』武智鉄二著 風濤社
『舞踊と身体』蘆原英了 新宿書房
〈WEBサイト〉(2004年2月現在)
「大阪・上方の蕎麦」南蛮・なんば・なんばん語源の謎

http://www10.ocn.ne.jp/~sobakiri/4-1.html

「常歩(なみあし)身体研究所」

http://www.namiashi.net/